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'07. 12  台湾遠征
'07. 6  故岸川資紀先輩を偲んで
'07. 3  故門司和男先輩を偲んで
'07. 3  第56回三惑大会(福岡)
'06.12 故茨木紀先輩を偲んで
'06.11 故吉村慶元先輩を偲んで
'06.11 N.Z.TOUR
     (GOLDEN OLDIESに参加)
'06. 7  台湾無惑クラブとの親善試合
'06. 4  第55回三惑大会(大阪)
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迷惑通信
 故吉村慶元先輩を偲んで

2006年9月30日ご逝去されました。
享年76歳。
心からご冥福をお祈りいたします。

 追悼写真

 2007年4月8日 
 吉村先輩が作られたアステムの森のグランドで、盛大に追悼会・追悼試合を行いました。
 平木北九州Rugby協会会長、九州協会から寺井氏、レフェリーの岩下氏ほか多く方に参加いた
 だきました。
今日は吉村先輩の追悼会、追悼試合の日です 迷惑 Rugby Dollも 見ています 奥様お礼の挨拶 ご家族で 三惑大会のアルバムを見られていました 吉村先輩を中心に全員集合!

 2006年10月8日 
 北九州Rugby祭(北九州本城グランド)で、吉村慶元さんを偲んで黙とうを捧げました
2006年10月8日 北九州 本城グランドで行われた北九州Rugby祭で9月30日に亡くなられた吉村慶元先輩を偲んで黙とうを捧げました。 2006年10月8日 北九州 本城グランドで行われた北九州Rugby祭で9月30日に亡くなられた吉村慶元先輩を偲んで黙とうを捧げました。      

 吉村慶元さん 写真集
岸川先生の奥様と(撮影は岸川先生) カナダチームの歓迎会で 三惑戦(大阪での)勇姿です アステムの森での新手初練習後の新年懇親会 もう10年以上前の三惑東京大会に参加 (羽田空港にて)

 追悼メッセージ


2006年11月21日

   故吉村慶元先輩の訃報に寄せて

迷惑ラグビー倶楽部
会長 岡部英二
故吉村慶元先輩の訃報に寄せて 迷惑ラグビー倶楽部 会長 岡部英二

先輩の姿がグランドで見られなくなって暫くして、闘病生活をされていることを知り心配致しておりましたが、9月末日に訃報のご連絡を受け迷惑クラブ員一同心よりお悔やみ申し上げます。

こよなくラグビーを愛しまた、ラグビー界のために自らグランドを造られ広くチビッコラグビーから、高校・大学・社会人リーグ、またクラブチームに至るまでグランドの休まるひまのないスケジュールでのグランド使用を快く受けてくださり、北九州のラグビー専用グランドとしてラグビー協会、各ラグビーチームは大変助けられております。

先輩と私は試合では2−3度ご一緒にさせて頂いた事がありますが、立派な体格でゲームを楽しんでおられた姿を思い出します。
聞く所によりますと、チビッコラグビーをつれてNew Zealandへ遠征された折、現地では立派なグランドがいたるところにあり、休日に国民がそこで楽しんでいた様子を目にされ、是非日本に帰ったら芝のグランドを造ろうと誓われたそうですね。
今ではそのグランドは北九州のラグビーのメッカとして協会関係に大きく貢献されていると伺っております。
そんな状況の中でも何時も我々迷惑クラブの無理を受け入れていただいて使用させて貰っております。
クラブハウスに至っては、迷惑クラブの生い立ちの記念品から遠征の記念品などをまるで迷惑クラブのクラブハウスのごとく独占して陳列させて頂いております。
本当に心より感謝申し上げます。

先輩が亡くなられて寂しくなりましたが、アステムのグランドは地域ラグビー発展の為、ラグビー愛好家の為今後も広く利用されることでしょう。
末永く先輩の功績を汚さぬよう努力していく所存です。
どうぞ安らかにお眠りください。
合掌



2007年4月8日

   吉村慶元先輩の追悼会に参加して
篠原勝正

昭和45年来より声を掛けていただき、当時九州協会の倶楽部チーム担当で大分県代表で吉四六クラブ所属で参加・東芝メデカル勤務の為、小倉薬品勤務のラガーの印象でした。

その後医療関係の出入でよく会うようになり、カッパクラブ・北九州ラグビー連盟時代よりの関り、迷惑倶楽部入部・1989年自民党公認若松選挙区で市議会議員に立候補した際に大変お世話に頂いた事、仕事の事でお世話を頂いた事を忘れる事は出来ません。

追悼の試合は、敵味方勝敗は別に満足いくフェアープレーが出来た事・強さと優しさ・社会報恩・医食同源・臥薪嘗胆等を教えて頂きました事に感謝します。南無阿弥陀仏。



2006年11月21日

   吉村慶元先輩を偲んで
石橋文夫

先輩が亡くなられて、早2ヶ月あまりの月日が過ぎました。
訃報を聞き、ビックリしたところです。また、葬儀には多数の参列者で、これも先輩が人情味のある人生を送ってこられた姿だと思いました。

私が先輩と出会ったのは25年前、カッパクラブに所属していた頃です。
北九35クラブが出来、吉村先輩より入部のお誘いがあってからのお付き合いでした。
それから数年後迷惑クラブに入部させてもらい、フォワードとして試合をともに戦ったものです。
また、エピソードと言えば私の息子の結婚式のお仲人をおねがいしたところ、なかなか承諾してもらえず、私が機関銃をもって撃ち殺すという脅かしまがいのお願いをした所、奥様がビックリなさって辛くも引き受けて頂いたことがありました。

先輩は人を愛し、酒を愛し、またラグビーをこよなく愛された人でした。
北九州での会議の後良く皆で飲みまわったものです。
今後、グランドに立つ毎に、先輩の勇姿が思い出されることでしょう。

最後に改めて吉村先輩のご冥福をお祈りいたします。


 即席ジャージーの思い出 (迷惑倶楽部40年史より)
吉村 慶元 

迷惑倶楽部 四十年史表紙
年改まり、平成元年の恒例三惑戦には、昨年につづき参加したが、年毎の身心の衰えに実に自分が情なくなります。今回は、僅か一度のボール・レシーブを掴めない。タックルに行けば外され地ベタに這う。モタモタ歩く様をバックスから叱責される。最近、とみに股や尻の筋肉が落ちた醜体でもあるから、観戦者も不快であったでしょう。だが、M先生を始め黄パン・赤パンの先輩らの颯爽とした、然も華麗なプレーが今回もありました。また、青パンの同僚の果敢なプレー、それこそ身心一如の姿が随所に見られました。

本年で迷惑倶楽部創立40周年とのことです。クラブ創立当時、私は新制高校2期生であり、占領軍GHQの武道部禁止令もあって、身を持て余す連中が集り、大鍋で「みやこ染」の臙脂色で、持ち寄った親父や祖父のメリヤスシャツを染めた即席ジャージーと、割当での僅か1個のボールと、シューズもなく素足で始めたラグビーは未知の「赤ん坊」の集団の発足した年でありました。

迷惑倶楽部の歴史は、今後さらに50年、60年と継続するメンバーによって創られて行きます。限りなく続く融通無碍なる道だと思います。私奴のラグビー歴40年と同じ節目にあり永遠に続く道を除名されずに、何時まで歩けるだろうと感慨無量です。また今日の私奴の姿に反省頻りです。何時も変りなく元気にプレーをしたいと思いながら、日常生活の不規則、それも安易で甘味な生活への傾斜で、肝心要も、足腰をも衰退せしめております。

試合でのクラブ仲間のプレーや、また終ってのミーティングでの一挙一動に、みんなそれぞれの日常が窺われ、自分の生活の乱れ、身心の衰えを知らせるバロメーターがあり、私にとって他律的な刺激となります。

迷惑倶楽部の活動への参加は私の処世の道程と考えております。今後ともクラブ仲間の皆様の教導を戴きながら積極的に活動参加をしてゆく所存です。
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