2008年9月
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先輩に学ぼう 後輩を知ろう |
第5回は 日野博愛先輩です。
(迷惑事務局より一言)
社会福祉法人ゆうかり学園 理事長としての仕事のほかに、全国身体障害者施設協議会 副会長、ほか福岡県久留米市におかれて数々の要職に就かれておられます。

日野博愛

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REPORT
ラグビー歴
福岡高校、明治大学、株式会社ヤナセ、ゆうかり学園にてプレイ。
その後、憧れの(?)迷惑へ。
- 福岡高校入学と同時にラグビー部に入部
第40回(1年)、第42回(3年)全国大会出場。
- 明治大学
(此れはご本人の言葉です。) 3年生からSOとしてレギュラー定着するも、残念ながら特筆すべき戦績なし
- 株式会社ヤナセ
この間九州代表として3地域対抗戦、朝日招待ラグビー、国際試合(対NZ学生選抜)など出場、福岡県代表として長崎・岩手国体出場
- 社会福祉法人ゆうかり学園
昭和48年創部・20年間九州実業団リーグ、西日本社会リーグ加盟プレイイングマネージャーとして38歳まで現役
- その他
九州代表チームコーチ
福岡代表チーム監督(奈良国体優勝・滋賀国体準優勝)
福岡代表NZ遠征チーム監督
座右の銘
中国の故事:照一隅者是国士 『一隅を照らす者、これ国の宝なり』 という意味だそうで、マツダの創業者の座右の銘でもある。
この言葉は250名の職員あっての自分、すなわち職員はすべて自分にとっては何よりも替え難い大事な宝である。
感謝の気持ちを常に念頭に置きこれからも、共に社会に貢献したい。
恩人
高校、大学時代、新島 清・北島 忠治という、日本ラグビー界有数の指導者に恵まれたことは、その後の人生で大きな財産となった
そして、そこまでのレールを引いてくれた父には、只感謝。

「明治大学 先輩からのMessage」
中村征機 昭和19年2月生まれ
注: 日野氏誕生日 昭和19年4月 2ヶ月の差で中村氏が大先輩(?)です。
日野博愛君のこと
- 彼は酒を飲めないのに練習及び試合のピーク時に呼吸から酒の匂いがする事。話に聞くと 体内で醗酵する珍しい体質 とのこと。
- 彼の走る時のフォームは 故北島監督直伝で
低い姿勢 肩の力を抜く 膝にゆとり
この3条件をクリアーした選手です。
- 学生時代はロングは苦手だったが、最近はホノルルマラソンを走ったり長距離も克服しているようです。
最後に
万年青年でいつまでもさわやかな笑顔でラグビーをエンジョイして下さい。

「同期からのMessage」
織田伸一 昭和19年5月生まれ
注:日野氏 たった1ヶ月早く生まれて 大先輩(?)です。
迷惑赤パンのエース10番が日野氏。その人にボールを廻すのが9番の私。
現在赤パンではハーフ人材不足。お陰で私はポジションを紺の財部君が赤に来るまではいまのハーフを続けられそうです。黄色のハーフは岡部会長と言う強敵が居ますが何とか若さで黄色のハーフのPosition獲得を狙っています。
黄色の10番は山田元会長ですので日野さんも頑張ってください。2人で岡部山田コンビを早く紫パンツに送り出しましょう。
先日 ゆうかり学園の夏祭りに迷惑会員有志がボランティアーで参加させていただきましたが、体の不自由な人約230人 職員の方もほぼ同じ200人以上 総勢500人近い人々の生活を支える ゆうかり学園の責任者として経営にあたられている事を始めて知りました。 日頃の仕事の悩みを Rugbyで発散してください。

「高校時代の仲間からのMessage」
福岡高校同期生 副将 内山健三
日野キャプテンへ
福岡高校ラグビー部で、彼がキャプテン小生はバイスを勤めました。
2年の時に電波高校に破れ、3年時にも、「おそらくだめだろう」と回りから思われておりましたが、新島監督をはじめ多くのOBの方々による指導と、日野君の見事なキャプテンシーにより、見事に前年度の雪辱を果たし花園への出場権を得ました。性格が素直でまじめな彼が黙々と先頭を切って練習している姿をみて、皆がついていった結果でしたね。
今、大事な医療、教育の分野においても、日本でも先頭を切って黙々と走っている姿は賞賛に値します。ラグビーにおいても、いまだに暇があれば数十キロ自転車で走っているようで、また、ライバルチーム不惑倶楽部の一員となった小生にとっては、厄介な存在(?)となっています。

「男性従業員を代表して」
ゆうかり学園在籍 山元照弘
日野さんと私は会社(ゆうかり学園)では理事長と一指導員の関係、グランドでは同じラガーマンとして共に楕円のボールを追いかける仲間である。
ゆうかり学園ラグビー部は私が入社してすぐに新日鉄八幡や九州電力等の強豪が犇めく、西日本社会人リーグに仲間入りすることになった。その頃、日野さんはプレイングマネージャーとして第一線で試合をされていた。よく考えると私がゆうかり学園に入社して数年は一緒にプレイをした記憶からして、その頃の日野さんは40歳くらいだったことを思うと頭が下がる。あの頃を思うと根っからラグビーが好きで走ることを楽しんでいたことが伺われる。
4年程前に還暦の記念に『走るぞ』と言い出され、湯布院からゆうかり学園までの約80キロをサポーターは交代制で日野さんは一人で完走することになった。その頃私は膝のリハビリ中で自転車での伴走だったが、膝は痛いし足腰はこわって軽い気持ちで参加したことを悔やんだことが思い浮かぶ。早朝6時頃に湯布院を出発し、数ヵ所で足のマッサージとウォーターブレイクをとりながらの激走であった。しかし、途中にアクシデントは訪れた、走りながら意識が薄れ熱中症に近い極限状態となった。少しの休憩で回復したものの、サポーターの『もうやめましょうか』という言葉に返事はなく再び走り出し、そのまま園児等が待つゆうかり学園に着いたのは夕方の6時頃だったように記憶している。今も勤務後に黙々と走っている姿をよく見かける。一人で走ることが苦手な私にとって持久走が好きな先輩が二人(日野・財部)もいるので、お手本にしたいと気持ちだけは維持している。
最後に、これからも日野理事長の切れのあるステップがみられることを期待しています。

「女性従業員を代表して」
社会福祉法人ゆうかり学園 法人事務局女性職員一同
職場では300名の利用者、250名の職員を抱え、対外的には福岡県、九州ブロックの会長、全国の副会長という要職につかれ、
東京日帰りなど朝めし前とちょっとした芸能人並のスケジュールを難なくこなされるスーパーマン。
お母様から「この子は、小さい時からごはんをお腹一杯食べさせとけばおとなしい子だった」と伺ったことがある。
今でも好き嫌いなく完食!健康優良児は今も健康優良爺(笑)として健在している。
そんな健康優良爺に最近異変がおきた!「奥歯が痛い…」なんと、この歳まで歯医者にも無縁だったとは…スーパーマンたる所以である。
どんなに忙しい中にあっても定期的に自ら整理整頓され机の上はいつもスッキリ。
何でも早め、早めに仕事を進められる先行マイペース型+隠し事が出来ない正直者(飛行機の予約等は、その早めの策が仇になることも…)
我々としては、永久にスーパーマンであってほしいのですが、そこは生身の人間、どうぞどうぞお身体ご自愛下さり生涯現役で活躍されることをお祈り致しております。
最後に、家庭では孝行息子、良き夫、良き父親として掃除、草取り、ゴミ出しもされる家庭的男性であることも書き記しておきます。

野川斉一
半世紀近く前、福岡高校に入学したばかりの私、紅顔の美少年?
講堂であったオリエンテーション、クラブ紹介、日野先輩は当時3年生でラグビー部のキャプテンをしておられました。演壇に上がられた先輩、他のクラブの能弁なキャプテンとは違っていました。日に焼けたたくましい顔にどこかシャイな表情ただよわせて、ただ「ラグビー部です」と言われたように記憶しています。
ラグビーの男らしさ、素朴さを凝縮したような挨拶でした。剛毅木訥、巧言令色少なし仁、そういう言葉を思い浮かべ、深く感銘したものです。
こういう雰囲気の中で私たちは福高魂というのを培っていきました。一緒に入学した同級生には今アフガニスタンで活躍している中村哲がいます。
ラグビーは福高では校技でありすべての男生徒の憧れのスポーツでした。何となくアウトロー的な雰囲気があり、それがまた魅力でした。
高校では練習の厳しさや受験のためラグビーをできなくても、大学へ入ってから始めた同級生はたくさんいます。私もその一人です。
日野先輩のあの講堂でのラグビー部紹介、感じやすい15歳に人生の指針を与えてくれたようにと思っています。
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