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2006年4月 今月から2ヶ月に1度くらいで、迷惑ラグビー倶楽部の超有名、超勇名選手をお一人づつ紹介して参ります。
先輩に学ぼう 後輩を知ろう |
記念すべき第1回目は 園田実先輩です。

園田 実 Minoru Sonoda

PHOTO
写真を見ながら先輩のプレイを思い浮かべてください。
《失礼 故人にはなられていませんよ。現役黄色のバリバリです。》

REPORT
「鉄食べて」初優勝 怒とうのタックル中央突破へ〜光る小兵選手
有名なエピソードがある。新日鉄八幡(当時八幡製鉄)が1951年の全国実業団体会初出場で初優勝したときのことだ。
1月5日、名古屋・瑞穂ラグビー場で行われたトヨタ自動車との決勝戦。ナンバー8園田実のタックルが、何度も相手選手をなぎ倒していた。それを観戦していた秩父宮妃殿下が、試合の説明をしていた主務の延武三郎にこう訪ねたという。
「あの、8番は何を食べていらっしゃるの?」
延武がすかさず答えた。
「鉄を食べております」
戦後まもなく、まだ食料が豊富でない時代。1メートル70、67キロと小柄な園田の活力のある動きは、グラウンドで一際目立っていた。
高校時代のポジションはFB。48年に入部し、元気の良さをかわれて、タックル専門のナンバー8に起用された。小柄な園田のタックルは、1人を倒した後、ボールが渡った先へ続けて当たるしつこさが持ち味だった。
「最初のタックル後、園田は立ち上がらないんです。地面をはって、そのまま次の選手に行く。執ようなまでに」と延武は振り返る。
展開するラグビーが主流の現在では考えられないが、FWの力と、中央突破していく攻撃が多かった当時は、自分たちのFW陣を1人減らしてでも、園田の特徴をいかす方が理にかなっていた。
「その後、何回か優勝を経験していますが、あの初優勝は忘れられないなぁ」。73歳になった今も、クラブチームでラグビーを続ける園田は、そう言って笑う。
さて、冒頭のエピソード。延武に真偽を訪ねると、妃殿下の方が「鉄でも食べていらっしゃるの?」
と問われたらしい。延武は「『食事は皆と変わりません』とお答えしました」。
「鉄を食べた」という伝説が今も語り継がれるほど、園田のプレーが見事だったという証し。八幡の黄金時代は、まさに「鉄人」の活躍で幕を開けた。
<プロフィール>
昭和23年、八幡製鉄ラグビー部(現新日鉄八幡)入部。1951年、第三階全国実業団大会初出場で初優勝を経験する。大学でラグビーを経験した物が多い中で同部で初めて高卒でキャプテンを務めた。現在は、迷惑ラグビークラブに所属。週一回の練習のかたわら若きラガーマンたちの指導者として活躍している。

後輩からのMESSAGE
私が学生時代園田先輩はあの日本のラグビーを代表する八幡製鉄ラグビーで活躍した有名な選手です。
わが恩師北島監督は「タックルのないルグビーはない」と教えられたが、園田先輩のタックルはそれを象徴するす晴らしそ激しいもので、相手を仰向けに倒すタックルを学生時代から見てきました。
その先輩と今は黄パンツをはいてチームメイトとして試合ができることを嬉しく思っております。
園田先輩いつまでも一緒にプレーさせてください。
チームメイト 山田 常男
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